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「不登校」
翔平は、2年近く学校へ行っていない。
特に何か学校であったからという訳ではないのだが、どうしても行かれない日に休んだら、そのまま次の日も、その次の日も行かれなくなり、そのまま不登校になってしまった。
父母からは、「なぜ行かないのか?」「一緒についていこうか?」「カウンセリングを受けに行こう」など心配され続け、特に母は仕事の疲れもあり、イライラが日毎に増していた。
求められていることに答えられない自分や上手く自分の気持ちを人に言えないことなど悩んでいるうちに、だんだん人の目が怖くなり外に出ることが苦痛になってきた翔平。部屋でゲームに夢中になっているうちに、高いスコアを出すことが多く、オンラインゲームの中ではイキイキとしていることが出来ることに気づき、ますます没頭していく。

そうなると益々、学校に行く意味もわからなくなった。

家族と食事をすることも無くなり、ほとんど部屋に籠もっている翔平に、母のイライラは募り、母の言葉はほとんど耳に入らなくなっていた。

島には、不登校になる前の2年ほど前に行ったきりだった。なんとなく塞ぎ込みがちだった翔平を温かく迎えてくれた祖母の嘉代。
机の上の祖母の写真を時々眺めては、懐かしく思っていた。
いつから自分はこんな風になってしまったんだろう。なぜみんなが普通にできていることが自分はできないのだろう。
祖母は「そのまんまでいいんだよ」と言ってくれるけれど、周囲はそのまんまを認めてくれるのだろうか?と不安は消えない。

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「社会正義の名のもとに闘う人」
小林は、社会正義のために自分の意見を信じて疑わない人。

「ソーシャル・ジャスティス・ウォーリアー」と言って「安っぽい正義感を振りかざして、独善的な考えで他人を攻撃する人」といった意味が込められた言葉です。

「〇〇であるべきだ」という考え方に縛られている人で、正義感が強く、「社会的正義」や「世間の常識的な倫理観」を振りかざして他人を非難する傾向がある人。すなわち、「世間の多くが『こうあるべきだ』と思っていることなんだから、当然それを破ったやつが『悪』であり、自分は『正義』なんだ」という考えを持っていて、「自分は『正義』の名のもとに『悪』をやっつけているんだ」という思いで攻撃をしている人。
​そして、自分がやっていることは、社会のためだと信じて疑わない。

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「そのまんまで」

嘉代の口ぐせのような言葉。
優しく、人の気持ちにも敏感で、真面目な人ほど、人の期待に応えよう(翔平の場合は
母親)と無理をして頑張ってしまいがちだ。
そして、それが出来てしまうのです、ある時期までは。
そして、頑張っていた心がそれ以上耐えられなくなり、それまで出来ていたことがいきなり出来なくなってしまう。

翔平もそうして、学校へ行かず、家の中でゲームをして過ごしていた。父は海外赴任が長く、母は1人、仕事と子育て、家庭で忙しく過ごし、翔平が学校へ行かないことに苛立っていた。
そんな翔平にとっては、島に住む祖母・嘉代と一緒にいる時だけが

​心やすらぐ時間だったのだ。
つまり、嘉代は「そのまんまでいいんだよ。」とありのままの翔平を受け入れてくれる存在だった。
そして、そんな嘉代の住む島もまた誰をも優しく照らしてくれる「おぼろ神」さんがいる島。
そんな島にやって来た若者たちも、それぞれが自分の存在をただ受け止め、認めてくれる島や嘉代から、本来持っている自分自身の生きる力に気づき、前を向いて行くようになる。

現代は、利益優先、効率優先の社会。結果を出すことが求められ、その過程の体験価値などはほとんど評価されない。情報過多で、常に人との比較をせずにいられない環境におかれ、周囲からの無言の圧力で自分以外の者になることが求められる。
自分自身でいることに自信が持てず、不安定な土台の上に揺れながら立っているような感覚になっていたりするのではないでしょうか?
「自分のままを認められること」
人はそれがあれば、自信を持って​、前に一歩踏み出せるのではないかと思います。
 

「一極集中による過疎化

この島に限らず、地方では人口減少による過疎化が進み、高齢化も課題となっている。
昭和の高度成長期、人はより高収入を得られる仕事を求め都会へ集まり、便利で快適な生活を堪能して来た。

一方で、都会での生活は隣に住む人もわからず、1人自由に生きるのには都合が良いが、心を許せる人や場所に恵まれず孤独に陥る人たちも多く、心の病を抱える人も増えている。

コロナ禍前、2017年にAIが予測した結果では、「東京への一極集中が緩和され、地方への分散が進んだほうが、望ましい社会になる」というものだったそうだ。さらにコロナ後のシミュレーションでは「空間的な分散にとどまらず、人生のあらゆる面を分散させる、包括的な分散が重要だとする結果」とのこと。(朝日新聞2022年1月23日
AIのシミュレーションが絶対ではないが、「月を見上げる」が完成した後にこの結果を知り、映画を通して伝えたいメッセージの一つ「都市にすべてが集まるのではなく、地域で暮らすことを見直し、また働き方や仕事の内容などもこれまでの慣習に囚われず、多様な生き方を尊重できる社会となることが大事なのではないか」ということが少なからずもAIと一致していたことに納得した。

日本の人口が減少していく未来において、「もっともっと!」の考え方は合うはずがなく、心が満ち足りた人生を生きている人たちが増えた方が、人の潜在的な力が表出し、経済的は面でも成長が望めるのではないかと考える。
映画「月を見上げる」の中では、翔平も拓也も南海も茜もそして大成も、自分自身で未来を生きようとしていく。それは簡単なことではないかもしれないが、この過疎の島で、多様性を受け入れ、そのままの存在を認めてくれる環境の中で、社会のレールに乗って生きるのではなく、自分の人生を自分で考え生きていくことを選ぶことが出来たということが大事なのだ。

 

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完璧を目指す拓也だったが・・・

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都会ではSNSによる誹謗中傷に苦しむ茜だが・・・

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